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あっというまに春、そしてフランス運転免許

気がついたらずいぶん更新していない・・・ので、ブログ上ではあっという間に春になった感じでしょうか。でも今年のフランスの冬は長く、2週間くらい前までずいぶんと寒かったのです。
3月半ばの雪
2月には義父家族とスキーに行き、いろいろあってちょっとがっかりして2日で帰ってきてしまったのですが、アルプスの山々は雄大で、美しく、圧倒されました。久々のスキーは、「あ、わたしこんなに下手だったんだ!」と思い起こさせるもので、優雅に滑っていくほかのスキーヤーを見て、ちょっとうらやましくなったり。今度はスキー学校に行こうと決めたのでした。一方、エマは初めての雪を好きか嫌いか決めかねているようでした。でもそりは楽しかったようです。
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やっと最近暖かくなって、2週間ほど前に義父の家族のところに遊びに行ったときはもう初夏のような陽気になりました。せっかく来たから、と車で1時間くらいのLac d’Orientに連れて行ってもらい、初めての広い湖(人工)にエマは浜辺を堪能していました(主に石を選ぶことと歩くこと)。パパも私も大興奮!楽しく過ごした週末でした。
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先週末はSceaux公園にピクニックに行ってきました。本当は花見のはずだったのだけど、まだつぼみが開いてなくて、緑の芝生を楽しむピクニックとなりました。パパはすっかり赤カブのごとく赤くなってお家に帰りましたとさ。
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最近エマは手先が器用になってきたからか、何か(たいてい木切れとか小石とか葉っぱとか)拾っては私にくれたり誰か知らない人にあげたり、穴に落としたり、その穴に手を突っ込んでまた拾おうとしたり、勢い余って口に入れて私を叫ばせたりしています。最近は気に入らないことがあると典型的な駄々っ子:ねっころがってキーキー言いながら手足をばたばたさせる、というのをします。やだなー。

さて、この前の記事から3ヶ月、私は何をしてたかというと・・・エマを預け始めた一月から、私はフランス語の学校に通い始め、3ヶ月勤め上げ、先週一応コースを終えたところです。
そのあいだにOFIIからの召喚イベントを4回こなしすべてのアイテム(4枚のカラフルな紙)を手に入れ、学校が終わったらPôle Emploi(日本のハローワーク+失業保険みたいなの)に登録予定でした。

ですから学校が終わった今週は事務手続きに追われ・・・
月曜日:フランスの社会保険の受付のおば様に失礼な態度をとられて怒る。
火曜日・水曜日:県庁に朝7時半から並び運転免許証を交換し(しかも一回書類不足で失敗したので計2回並んだのでした)、パスポートの更新申請に向かう。6月にはビザの更新が始まるため、11ヶ月近く残っているのを忍んで更新。ICにもしたいし!
木曜日:朝からPôle Emploiで面接の予定・・・だったのですが、うかつにも昨日パスポートの更新申請をしてしまったため、パスポートのオリジナルが手元に無くてあっさり来週に。
ああ、更新申請、金曜日にしとけばよかった!フランスは日本みたいに甘くないことを分かっていながら、自分のあほさ加減が、くやしい!でも昨日は日本大使館の方々の親切に、人間こうでなきゃいけない、と思い直したのでした。がんばろう。

でもPôle Emploiに登録しても結局フランス語力が足らないので、formationという形で語学学生しながら就活する感じになるでしょう。それにしても社会保険のおばさんに「フランス語のしゃべれる人と来なさい」みたいなことを言われたあの屈辱は忘れません。あのおばさんが傷つくくらいにエレガントな嫌味をフランス語で言い返せるように、ますます精進したいと心に決めたのでした。目指すはC1(いまはB1からB2)。

 

ちなみに運転免許証交換について必要書類とその手続き情報@Nanterre
●必要書類 Pièces à fournir

-le formulaire cerfa n°14879*01 de demande d’échange de permis complété, daté et signé
:県庁、または以下のリンクで手に入る書類に記入して日付とサインしたもの https://www.formulaires.modernisation.gouv.fr/gf/cerfa_14879.do
-une photocopie couleur recto-verso de votre permis de conduire étranger
:日本(または自分の国の)の運転免許証の裏表カラーコピー
-si votre permis n’est pas rédigé en français, sa traduction officielle
:フランス語での記載が無い場合(普通日本の免許証には無いでしょう)はフランス語訳した公式書類、翻訳は大使館でやってくれます。19.5ユーロ 以下参照 http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/ryouji/menkyo/index.html
-4 photographies d’identité aux normes
:パスポート用の写真4枚
-si vous êtes non-européen, une photocopie recto-verso de votre carte de séjour ou, si vous détenez un visa valant titre de séjour, une photocopie de votre passeport sur lequel la vignette de l’Ofii est apposée
:パスポートのコピー、写真のあるページと、ビザの張ってあるページ、OFIIの滞在許可証が張ってあるページ
-un justificatif de votre résidence en France depuis au moins 6 mois (par exemple : contrat de location, facture d’électricité, feuille d’imposition…)
:住所を証明する3ヶ月以内の書類、賃貸契約書(3ヶ月以内のもの)とかガス・電話の請求書、税金の紙など。正式な請求書はコピーも一緒に。私は旦那名義のケイタイの請求書をダウンロード&プリントアウト+結婚証明書で通りました。別にうちに届いたものでなくても 良いらしい。*イギリスではだいたい口座証明だったのですが、こちらでは使えないようです。
-En fonction de votre nationalité et du pays de délivrance du permis, vous devrez aussi éventuellement présenter des justificatifs probants
:これは大使館で運転免許証申請書類を出すときに、もう一枚申請書を出して一緒に出してもらえます。
-sur votre résidence pendant au moins 6 mois dans ce pays, incluant la date d’obtention de votre permis et sur la fin de votre séjour dans ce pays
:これは日本からやってきた日本の運転免許証を持つ人には関係ありませんが、どこか違う国で運転免許証をとった人は6ヶ月以上そこにいたことと運転免許証取得の日付のはいった証明書、そしてその国でのビザの証明がいるようです。
-Certaines préfectures demandent de fournir une enveloppe “max 20 grammes” pour l’envoi du permis à domicile
:Nanterreの県庁では必要でした(でもなんに使われるのかは不明)。3ユーロくらい?La Posteで手に入ります。

ちなみに、日本の運転免許証は県庁に接収されます(いやl’échangeだから交換なのだけれど)。でも最終的には返ってくるらしい。でも時間がかかるので(6ヶ月から2年くらいの間のいつか)、日本に帰った時に再発行してもらったほうが早いよ、でもフランスでフランスの運転免許証と一緒に携帯しないでねとのアドバイスをいただきました(フランスは二つ運転免許証を持ってるのはいけないらしい、なぜだ?)。詳しくは http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/ryouji/menkyo/henkan.html


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エマを預けるとき

最近、ずっと探していたAssistante maternelle(個人保育士さん) が見つかったので、今日からAdaptation(保育士さんに慣れさせるための準備期間)が始まりました。今日から一週間エマと一緒にMadameのところにいきます。
前に一度面接をしたときに、エマとパパと一緒にお訪ねしているのですが、そのときは夕方7時だったので他のべべちゃんはもうおうちに帰っていました。今日は午前中なのでほかのべべちゃんがいます。1歳3ヶ月くらいの男の子とのこと。大丈夫かなー?

初日なので、ママ同伴で一時間だけ。最初ちょっと戸惑っていたようでしたが、たくさん玩具のあるお家にすぐなれて遊び始めました。バティスタちゃんはおにいちゃんらしく、いろいろ玩具をくれたり、よこどったり走ったり。一方エマはなんとなくされるがまま。玩具をもらってもとられても、なんとなく面食らっているだけでした。がんばれエマ!負けるな!

やっぱり一歳は違うなぁと思うのは、お片づけ的なことができること。エマは出して投げるか地に落とすしかできないけれど、バティスタちゃんは物を袋の中に入れるとかできるのだ!建設的なことができるというのはすごい。まったくもってすごい。
Madameはとっても忍耐強くて、ずっと子供と遊んでいました。音楽をかけたり、一緒に踊ったり、玩具を渡したり、そしてその間ずっと話しかけていました。すごい!
バティスタちゃんはもう結構いろいろなことがわかるので、Madameの言ったことを聞いたり聞かなかったり。エマは日本語はちょっとわかるけどフランス語は雰囲気しかわからないと思うので、ま、これからか。ちなみにバティスタちゃんはいっぱいしゃべるけど何を言っているかはさっぱりです。

これから金曜日まで一緒に行って、来週からはママ抜きで夕方まで遊びます。バティスタちゃんからいろいろ学んできてくれるといいなぁ。スプーンでご飯を食べるのと、お片づけ、まずはそれだけでもお願いします。


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またもや!インフルの猛威。

さて、2013年も新しくあけ、希望に満ちた新年の始まり、というのはシャルレー松崎家では2日からとなりました。

去る年も押し迫った28日、「頭が痛い。」と寝床でぼんやり思って目を覚ましたのでした。案の定37.5の微熱。「これはちょっとまずいぞ・・・。」と、おもっているとぐんぐん体調が悪化。アスピリンもパラセタモルも切らしていたので、パパに仕事帰りにかってきてもらいました。レモネードみたいな感じで(でも最後にがい)飲んで、ベッドイン。その日はパパに、ちょっと風邪がひどくなりそうだから、エマと一緒に別の部屋で休んでくれ、と頼み、居間に引っ越してもらいました。一人でエマの面倒を見るのか、と恨めしそうにしているパパでした。
でも思ったとおり、その夜中には全身が痛んで体の中から寒さが生まれるような感覚。熱を測ってみると39度!これはあかん・・・!

翌日にはパパが新しい薬を手に入れ、その薄いレモネード味の薬を何時間か置きに飲み、さらに変に甘苦いせきどめを飲まされ、ベッドでずっとうつらうつらしていました。幸いにも週末だったため、29日、30日はすべてパパがエマも私も面倒見てくれました。大変だったでしょう・・・申し訳ない。そしてお昼は二日ともチーズオープンオムレツでした。うん、ちょっとしょっぱいけど・・・いや、とてもおいしいよ!ありがとう!

前回の風邪の時は避難させていたエマですが、今回はタイミング悪くパピ(フランス語でおじいちゃんの意)がトロワにいないかもしれないとの事だったので、うちにいたのです。やっぱり、私の体調が悪くなり始めの28日に一日一緒にいたことで、うつってしまったようでした。
熱を出し始めたのは私が治りはじめた30日。パパいわく、「なんか機嫌が悪くて、寝かそうとしたり、抱っこから下ろそうとすると大泣きして嫌がる」という奇怪な行動(いや普通だし)を29日からしていたとの事で、もうすでにそのころには体調が悪かったものと思われます。30日の夜中、私がだいぶよくなったけれど隔離されて眠っていると、居間から「ぅぇーん」という細長い声が聞こえてきました。「あ、来たかな」と思って、触ってみると、熱い。熱を測ると38.5。

赤ちゃんではちょっと高めの熱、という程度でしょうか。とりあえずお水を飲ませ、ちゃんと飲むか確認。よし、飲む。鼻が詰まって息ができないようなので、泣き叫んで嫌がるエマを押さえて鼻吸い器で吸う。鼻をきれいにして、前の予防接種でもらったピンクのどろっとした解熱剤を飲ませる。ええー気持ち悪い、と・・・嫌がるかと思いきや、大好物でした。いくらでもいけます!ってくらいがっついてました。甘いの好きじゃなかったのに・・・なんだかちょっと残念。いや、でも食欲があっていい!解熱剤だけじゃなくてちゃんとご飯も食べようね。
解熱剤はよく効いて、しばらくすると平熱に下がり、また眠ってしまいました。でも、だからといって風邪が治ったわけではないので、様子を見ながら。

私は、熱があるときは体を冷やしてはいけないのだと思っていたのですが、赤ちゃんが熱を出したときは暖めてはいけないのだそう。と、言うことで家の暖房を止め、エマは昼間半袖半ズボン靴下といういでたちで家をうろうろするということになりました。解熱剤が効いているときは元気があって、ハイハイしたりしてるのだけれど、切れてくると息が荒くなって、ちょっとつらそう。でも解熱剤は大好物だから、何の抵抗もなく飲んでくれます。6時間以上おいて一回、一日三回まで、という制約があるので、そんなにあげられないけれど。
31日はパパがまたお仕事のため、私が熱っぽい病み上がりの体をおしてエマのお守りでした。でもいつもよりたくさん眠ってくれたので、私も一緒に眠りました。やっぱり(お互い)体がつらいのね。

1日には何とか高い熱も下がり、鼻水と咳だけに戻りましたが、おなかを壊してしまったようで、水分はきちんととるように気をつけていました。でも食い意地がすごくて、あんまり一度にたくさん食べないものの、パパと私が食べていると、やってきて皿に手を伸ばすのです。
ちなみに、寝込んでいたため買い物にいけず、1日はうちにあるものを食べてすごしました。=マミ(フランス語でおはあちゃんの意)がくれたノエルの残り物と二種類のパスタ。と、いってもフォアグラがあるのでゴージャスです。
もちろん、エマはフォアグラなど食べれないので、彼女の手の届かないところにお皿を移動させ続け(机の周りを動き回れるから)、シャンパンも常に二人の手の中にあるようにしていました。手が届かないことにイライラしてキーキー怒ってましたが・・・。

今日は二日。朝9時まで二人して朝を寝過ごし、パパに会うこともできないくらいよく寝たのに、なんか機嫌が悪い。
パパが、塩水でお鼻の中を洗うんだといって買ってきた点鼻薬を使って、エマのお鼻を吸うのを扉の向こうからこっそり見てるだけだったから怒ってるのかしら(エマはこっちを見て助けてくれという目をして泣き叫んでいた)。それとも起きてすぐまたお鼻をすったから怒ってるのかしら。
でもちゃんと食べてください。食べ物が口に入るとおとなしくなるのだから・・・。でも、本当に熱が下がってよかった!緊張したよーー!!


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友とノエルとエマと犬

12月24,25日はフランスでは日本の正月と同じく、親類縁者が集まってパーティーをします。そしてすべての店が閉まります。家族がフランスにいない限り、クリスマスのフランスはつまらないのです(フランスに限らず、キリスト教文化圏は)。

私はフランス人が連れあいなので、まぁとりあえず部屋の中で静かに閉じこもっているというクリスマスを迎えずにすんだわけです。

さて、クリスマス前の数日、ロンドンから私の友人カップルがやってきました。この狭いうちのスプリングが一個壊れたソファベッドで、3日間泊まっていくというのです。彼らは私がロンドンに行くときの常宿です。もちろんウェルカム!でも狭くて古くてうるさくてごめんね・・・。

彼らがやってくる日、20日はもうエマの時差を直すのに必死で、私は彼らがつく夜11時ごろにはもはや瞼が瞳に幕を下ろすのを止められませんでした。と、いうことでパパが待機。パパは彼らをよく知っているので、大丈夫。

翌日(極早朝)、ミルクをつくりにキッチン兼居間にしのび足で入った私は、ソファベッドの上で静かに手を振る友人を闇の中で見つけ、ほっと胸をなでおろしたのでした。

日が出てきたころ(8時半くらい)、もう起きて私たちのベッドでごろごろしながら待機していたエマと私たちは正式に友人たちにお目見えしました。エマはお客さんに大喜びです。早速おみやげのでっかい白熊さんと遊んでもらいます。その間に朝食などを済まして仕事に出かけるパパ。金曜日だからね。私とエマと友人は午前を無為に遊びに費やした後、午後から街中に繰り出しました。

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といっても何をするという目的があるでなし。とりあえず有名なギャラリーラファイエットのクリスマスショーウィンドウを見ようということで、お出かけしました。でもきっと暗くなってからのほうが美しいだろう、という結論になり、それまで赤い子供たちの市場(Marché des Enfants Rouges)でお昼を食べることにしました(その日は冬至だったので早く暗くなるだろうとの予測を元に12時半に出かけたのでした)。

エマはご飯をうちで食べたので、とくに楽しくお外に出てゆくだけでしたが、私たちは青虫のように腹ペコ。トラムとRERとメトロを乗り継ぎ、えっちらおっちらバギーを階段で運び、何とか市場にたどり着きました。その小さな市場は、観光客が多くくるのか、青果や魚のお店より、食事どころが多く、お昼時だったためちょっと混雑していました。私たちがガレットを食べようといったお店には、フランス人らしからぬ列が(でもフランス人が列を作っていました)。そこで私は巨大なサンドイッチ(食べるのに40分以上かかった)と、友人たちはガレット(これも巨大)をたのみ、おじさんにおまけのクロワッサン(2個なのでロンドンっ子たちが食べる)をもらい、かじりながら外をゆっくり歩いたのでした。ちなみに、どれもとてもおいしかったです。

その後カフェでゆっくりした後、ギャラリーラファイエットの中に入りたくない男性を残して、女性陣(エマ、友人、私)は百貨店の中へ。することもなく(高くて買えないし)、6階から零階まですべて制覇。店の真ん中には大きなスワロフスキクリスマスツリーが燦然と輝いていました。

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のどが乾いたのでお茶でも、とカフェをのぞいてみたが、何でフランスで高いお金出して紅茶を飲むのか、とロンドン在住の友人は馬鹿らしくなり、そのまま外に出てみました。而して、外は暗くなっていたのでした。人ごみを嫌った賢い友人と待ち合わせるために店をぐるり。ま、その際にショーウィンドウは見てしまったのでした。

今年のテーマは、ヴィトンの動物?とディズニープリンセス。

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ディズニーのプリンセスたちは、ドレスとかお人形とか、結構きれいでした。シンデレラの馬車がギャラリーラファイエットの入り口にあって、時おり実写シンデレラが現れて手を振ってくれるのでした。あんまり実写はかわいくないな、というのが感想。

それにひきかえ、ヴィトンの動物たちはリアルでさらに踊りまでしているというなかなかの凝りよう。横でヴィトン人形がそろってチアリーディングしているのも、なんか微妙に怖い。できばえとしては素晴らしいのですよ!でもちょっと怖い。それが味噌かもしれませんが。

という日を終え、帰路につきました。そして家では前日の努力の結晶、 Gigot d’agneau rôtiを賞味すべく、温めに取り掛かる・・・とかしてるうちに連れ合いが戻り、もう一人の宿泊客を連れてきました。ということでエマを含めて6人がその夜は集団生活を営みましたとさ。

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そして次の日は土曜日。ロンドンの友人たちを家に残し、最後の宿泊客の車で家族で北に向かいました。北にはエマ初お目見えの親族が待っています。

と、その前に、リールで結婚し、最近一児の母になった日本語教師の友達にリールについた次の日、会う約束をしていました。エマには久々の自分よりちっちゃい男の子との対面。やさしくして下さい、ママたちにするぺんぺん(結構痛い)とかぎゅっと握るとか、やめてくださいね!!と、とても心配していました。彼のおのこはとってもちっちゃくて、かわゆい赤子でした。彼は待ち合わせに着いたときからさよならするまでずっと眠り続け(起こそうとしたのに!)、エマは抱っこされた小さなおのこをこわごわ触っていました。なんと!よしよし的なことをもしたのです!何だろ、母性愛?やっぱり女の子なんだ、とちょっと安心したのでした・・・。

リールの連れ合いのお母さんのうちでは、お母さんの彼氏とエマと私と連れ合いで、クリスマスイブを祝いました。でもやっぱり4人なので、ちょっと静かかな。エマは久方(5日くらい)ぶりの広いおうちでたのしくいろんなものに触ってハイハイしていました。パリの家には階段がないので、リールのおうちの階段を登り、猫におびえ、ちょっと何かでアレルギーを発症し(たぶん猫?)、疲れ果てたのか9時には寝てました。クリスマスといえばフォアグラ、見たいな感じで、いろいろ食べて、自分もフォアグラになるというものです。

連れ合いのおじいちゃんはまだ健在ですが、もうご高齢のため、クリスマスの最高潮(24日の夜)を避けて25日の昼間にお食事することにしました。そこには連れ合いの3人のいとこ(みんな170を超える長身の女の子)と伯母さんとその彼氏、父とその奥さんとその娘(つまり妹)、おじいちゃんとその彼女(同じく高齢のため認知症発症中)の10人とちっちゃい犬がいました(うちの連れ合いはその中でも一番小さいのではと思われるのでした)。みんながそろって(犬も含め)エマをかまってくれたため、私はほぼすることもなく、一日を過ごしました。

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エマは犬と友達になりたかったようですが、ちょっと怖いのと興味とのせめぎあいの中、近づかれては逃げ、追いかけては逃げられ、手を出して触らず、なめられてドン引きする、ということを繰り返していました。でも犬は好きなようで、犬が顔を出すと大喜びで両手を上下に振ります。

残念なことに、それが仇になり、エマはこの小さな犬に嫌われてしまいました。

それはパリに帰る連れ合いの父の暗いキャンピングカーの中のこと。彼らの家族であるその小さな犬ももちろん乗っていました。眠くないエマは、キャンピングカーの中のお向かいに座れるようになっているテーブルを前に、私に押さえられて座っていました(でないとテーブルに這い登るため)。そこに、向かいに座っていた連れ合いの妹のところへ、あの小さな犬がやってきたのです。彼は、寝床を求めて広めの座席にいる主のところにやってきたのですが、そこにはめぐり合わせとしてエマも向かいにいたのです。

彼が顔を出したので、エマは大喜びで机をばしばしたたきました。不幸なことに、そのうちの一撃が、小さな犬の顔を殴打してしまったのです。「キャイン!」と断末魔の悲鳴を上げ、反撃としてエマの手を噛もうとしました。辛くもその歯を逃れたエマは、びっくりして悲しくなったようでした。もちろん主は犬が悪いと思ったようでしたが、まぁ、不幸なできごとでした。

でもどうやら犬はエマを自分と同等かそれ以下の存在としてみているようでした。たぶん私が彼の顔を叩いても噛もうとはしなかったでしょう。

残念だったね、エマ。次からは犬になめられないように、二本足で歩こう。


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緊縮フランス生活

フランスにやっと戻りました。
日本にいた一ヵ月半で大変な進化を遂げたエマさんは、飛行機の中で通路をハイハイしまわり(服と手が真っ黒に)、備え付けベッドの上に立ち上がって、遠くのおじさんおばさんに愛想を振りまき(振り向くと5列くらい後ろのおば様たちがエマに手を振っている)、お隣の赤ちゃん(一ヶ月若いスイスと日本のミックスちゃん)とお友達になりました。それはもう興奮して15時間、親子ともどもほぼ一睡もできないという空の旅でした。

 

パリについて2日、時差ぼけとの戦はまだ続いています。
エマはどうもこのアパートにいたときの記憶は無くしてしまったらしく、パパも記憶の彼方に葬られてしまったようでした。さすがに対面で泣くことはなかったけれど(若い人は好きだから)、「誰だろうこの人は」オーラが出ていました。初日は到着した夜7時から眠りこみ、夜中2時半に目を覚まし30分私たちのベッドでうろうろし、パパに預けるとおお泣きし(パパ少なからずショック)、七転八倒したあと眠って朝6時におきる、というパターンでした。

次の日はジージとバーバがいないことの不安から、ずっと抱っこをねだりつづけました。朝にはパパにもちょっと慣れて、抱っこをねだり、パパが出て行くと後を追いかけて泣き、昼は買い物に行くのに離れようとしない彼女を片手に抱えてバギーを階段で一階まで下ろし、買い物後、荷物とエマを部屋においてバギーを下にとりに行こうとすると、娘はこの世の終わりのごとく泣き、仕方がないので彼女をまたバギーに戻して一階から運ぶという、筋トレをしました。世の母はみなこんなに腰と腕の筋肉を鍛えているのだ、とあらためて感心したのでした。

昨日もまた夜7時ごろに夕食も食べずに眠りにつき、夜中1時半に目を覚まし、ご飯とお風呂を終えて2時半に眠りました。そして6時に目を覚ますという・・・。パパはちょっとげっそりしていました。でもすっかりパパになれたエマは、パパに抱っこをしてもらいご満悦で、今日もまた仕事に出かけるパパに泣いて追いすがるのでした。そんなエマにパパはまんざらでもない様子でした。親バカめ。

 

さて、私は日本に戻っているときフランスの移民局(OFII)から召喚されたので、また日にちを改めて行かねばなりません。でないと正式なヴィザはいただけないのです。

OFIIでは何をするのかというと、健康診査と言語の審査。とどのつまり、フランスに居たいのにフランス語しゃべれなかったら困るから学校行ってね、って言われるわけです。

さて、ここで大きな問題がひとつ。

私たちにはエマ(9ヶ月半)がいます。私が学校に行くためには、エマを預けなければなりません。公立の保育園に申請したけど「一杯です」といわれました(申請したのが遅かった)。うちの連れ合いの収入は最低賃金よりちょっと上くらい。個人の保母さん(Assistante maternelle)は月1000ユーロ近くします。パリの近郊の私たちのお家は1DKで1000ユーロ近くします。学校はちゃんとしたのに行こうとすると月800ユーロくらいします。誰がそんな金額が払えるんですか?生活できるか!って問題です。

ということで、フランス政府からさまざまな補助を受けなければなりません。住宅の補助、子育ての補助、学校の補助!OFIIには、こういう事情ですので学校くらいはただにしてください、またはエマを公立の保育園に入れるように計らってくれるなら学校に行けますが、とお願いするつもりでいます。

それぐらい主張しないと、やってられません。できるかどうかは別として。


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各地の金沢美大の友1

昨日、北名古屋にすむ、金沢美大からの友人に会いに行きました。最近赤ちゃんが生まれて、忙しくしている友人ですが、可愛い赤ちゃんが見たくてうちのエマを連れてお邪魔しました。
お昼ごろお邪魔したところ、だんなさんが会社から戻ってお昼を食べてらっしゃる最中でした。申し訳ない・・・でもその後、私もお昼をいただいちゃいました。あずちゃん、肉じゃがご馳走様でした。とてもおいしかった。
可愛い娘さんはソファーの上でぐっすり。そんな姿を見て、いまさらですが、2ヶ月の赤ちゃんってソファーの上に寝かせておいても落ちないんだ!ということにびっくりしました。つい半年前のことなのに、もはや忘れている・・・。うちのべべさんはもはや高いところで寝ることなどできません。起きたら勝手に這い出して、私の本を静かにかじっているということがこれまでに何度も起こっていますから・・・。
アズちゃんのおうちはとても整理されていて、エマは早速ハイハイでいろいろなところを探索していました。すると赤ちゃんが起きてきたので、エマに「エマ、赤ちゃんだよ!」と示してみると、アズちゃんの抱っこされている赤ちゃんを不思議そうに眺めていました。でもそのときすでにアズちゃんになついていたエマは、赤ちゃんが抱っこされているのに少しや気持ちを焼いたようで、「私も」といわんばかりにアズちゃんに向かっていっていました。

産後2ヶ月だというのに、アズちゃんはもうとってもすっきりしていて、うらやましいなーと思ったのでした。可愛い娘ちゃんはママが大好きで、パパが抱っこしても泣いちゃうのだそう。起きてるときはずっと抱っこしているみたいなので、そりゃ体力要りますよね。

お友達のおうちで眠いのに、興奮して眠れなかったエマは、その夜初めて本格的な夜泣きというものをしました。夜12時半から1時半までミルクも受け付けず寝ぼけて泣いていたので、眠らせることをあきらめ、一回しっかり起こすことにしました。テレビをつけたら、いままでぜんぜん泣き止まなかったのがパッチリ目を覚ましてピタッと泣くのをやめてしまいました。さっきまでのあの混乱振りは何だったの!?ってくらいにアッサリと。そして30分後ミルクを飲んで寝てしまいました。

ただでさえ、赤ちゃんと寝ると緊張であまり深く眠れないのに、こんな夜泣きを毎晩されたら、お母さんは本当に大変だろうなぁと、しみじみ思ったのでした。


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帰郷。

修士論文を控えた連れ合いを静かに集中させてあげるため、エマと私は日本に帰りました。

 

片道12時間の旅。パリーフランクフルト(50分)、フランクフルトー名古屋(10時間)という長丁場です。すごい緊張。

最初の二時間、パリからフランクフルトはエマのお昼寝時間にかぶっていて、でも移動やら短いフライトで寝られなかったため、エマはなんだか妙なハイテンションぶりを示した後、疲れ果てたようでした。隣のおじさん方にあやしてもらったにもかかわらず、最後は泣き出してしまいました。

子供をつれていると、必ずおじいちゃんおばあちゃんに声をかけられ、「うちにも孫が・・・」という話になります。そのヨーロッパ圏内便で隣のおじいさんが「いまから孫に会いにカナダに行くんだ。」といって、エマにiPhoneを触らせてくれるという出血大サービス振りを発揮してくださいました。そして喜んだエマは早速口に入れていました。笑って許してくれていましたが、すみません、お隣の老紳士!でもとっても助かりました。

次のフライトは10時間。ここが一番心配でしたが、意外に寝てくれて、7時間くらい静かでした。というのも、お隣の人が席を替わってくれて、二席自由に使えたことと、エマのベッドが機内スクリーンの真下だったことにより、私は動きがとりやすく、エマは気がまぎれる発光物が近くにあることで、ほぼ泣くことなく10時間を乗り切りました。

ほかにももう少し年長の赤ちゃんと6歳くらいの子供連れのお母さんがいらっしゃって、その赤ちゃんは体調を崩してしまったらしく、ずっと起きて泣いていました。お母さんも赤ちゃんも、疲れていてかわいそうでした。かく言う私も、緊張からかほとんど眠れず、疲労困憊して中部国際空港に着いたのでしたが。

 

迎えに来てくれていた両親を見て、エマは泣きもせず(スカイプでほぼ毎日交信していたおかげか)、かといって大喜びするわけでもなく(やはり2次元と3次元では違うらしい)、じっと見つめていました。でもすぐなついてしまい、その日のうちに、もはや抱っこをねだるようになっていました。

適応能力の高いことはいいことです。

 

ついたころにはまだ掴まり立ちができるようになった程度で、ハイハイも後退りするというありさまでしたが、ここ2週間で広い面積で練習したおかげか、めきめき実力をつけてきました。

ハイハイでどんどん好きなところに向かうし、手当たり次第に立ち上がり、そこらじゅうのものを引っ張り出し齧るという、赤ちゃんの問題行動に出るようになりました。最近は手放しで立っていられるようさりげなく挑戦しているようです。まったく、子供の能力の開花というのは植物の映像の早送りのようです。

 

といっても、5ヶ月だったときから変わっていないこともありました。Gの恐怖(ゴキブリの略ではありません)。

元来あまり人見知りしない子供なのですが、一人だけ、苦手な人がいるのです。それがばぁばの英会話の先生G。

中国系アメリカ人の彼は、とても明るい声の大きなアメリカ人って感じの人で、本人曰く子供には好かれるそう。しかしなぜか日仏ミックスのエマは、彼を見ると必ずこの世の終わりかというほど泣くのです。そして17分くらいで落ち着く。今回もそのルーティーンが繰り返され、最後にはG先生と仲良くなったのでした。また今度連れて行って様子を見てみようと思います。


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パリのママサークル

最近、パリのママサークルに参加しました。
Meet Upというサイトに、「パリの英語を話すママサークル」というのがあり、フランス語のだめな私は飛びついたのでした。
最初の集まりはモンソー公園でのお散歩。RER Bシテ・ユニヴェルシテの裏にある、とても美しい公園です。ただ、今の時期は芝生の休養のため、芝生には入れませんが、池もあり、子供の遊具もあり、小さなカフェもあり、とても心地のいい公園です。
集まったママは私を含めて8人。イギリス、アメリカ、ウクライナ、ドイツ、日本、いろいろな国籍が集まって、2ヶ月から2歳までの子供たちとモンソーをぐるぐる。子供たちを遊具あたりで遊ばせて、疲れたらカフェで一休み。子育てやほかのイベントについて情報交換したりしながら、いろいろな話をしました。そろそろエマも物をつかんで食べる時期。ゆでたにんじんスティックをつかませて食べさせるというアイディアをいただきました。

また、この集まりの主催者はベビーのサイン・ラングエッジの会もしていて、赤ちゃんが発話する前にコミュニケーションをしようというコンセプトの元、子供たちに「ありがとう」とか「お願いします/ください」などの手話を教えるというもの。実際に体験した子供がカフェでお昼を食べているとき、実演してくれました。「プリーズは?」といわれた一才くらいの子が、胸元をこするしぐさでお母さんに「ごはんください」と伝えていました。

なるほど、発話はできなくても伝えることはできるというのは、とても素敵。また今度参加してみようかと思いました。


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ロンドン旅行。

先週、エマとロンドンに行ってきました。旅行の口実としては、一人でエマと日本に戻る練習を兼ねてフリーズアートフェアーを見に行くこと。初めての二人きり旅行で、ちょっと緊張しました。
お昼過ぎのユーロスターで、パリ北駅からロンドンのセント・パンクラス駅まで、2時間程度の道のりです。電車には日本人観光客の方々が団体でいらっしゃって、関西の方だったらしく、関西弁でいろいろと話していらっしゃいました。私の隣は、ニュージーランドから来たきれいなお姉さん。私とエマは同じ席でしたが、隣のお姉さんがとても優しくしてくれたので、エマはとってもご機嫌でした。

びっくりしたのは関西のおば様方が私とエマが眠っているときにエマに「かわいいねぇ」といいながら触ってきたこと。や、さすがに親が起きてるときにしましょうよ。。。

 

さて、ついたその日はそのまま泊めてくれる友人宅へ直帰。

ロンドンはパリより駅にエレベーターがありません。ロンドンの地下鉄マップを見ると、車椅子マークのついた駅は数えるほどしかないのです。オリンピック効果で少し増えたようですが、150年の歴史は半端なく重く、車椅子マークのある駅ですら、リフトメンテナンス中とかで使えなかったりするので、結局いろんな人にお手伝いを頼みながら、駅を出たり入ったりしなければなりません。まぁ、頼んで断る人なんていませんが。。。ちなみに、セント・パンクラス駅/キングス・クロス駅はさすがにバリアフリーです。

友人宅に着いてからは、おもちゃなどで楽しく遊んで、とても元気に過ごしていました。新しい環境にもまったく動じない。。。夜もちゃんと寝てくれてました。

水曜午後から土曜夜までの3日半の滞在で、いろいろ会ったりしたい人たちがいたので、大体10時くらいから出かけて、夕方食事前に戻る、というパターンが多かったように思います。

木曜日はお昼に日本大使館で働くイギリス人の友人とタパスレストラン。いわしの丸揚げがとてもおいしかった・・・!その後、韓国から出張できていた級友と会い日本食レストランでお茶を飲みながら2時間くらいしゃべって、帰り際にエマの離乳食を薬局ブーツで購入し、友人宅へ帰っていきました。

フランスでは離乳食はなんだかみんなどろどろなのですが、ちゃんとイギリスの離乳食は粒があって、かめるようになっていました。と、いってもうちの子には歯がまだないので、舌でつぶせるということですが。おいしそうに食べていました。

 

金曜日はフリーズの日。

でもその前に、お昼には金沢で出会った友人たちとロンドンで再会!しました。というのも、大学時代に金沢に住んでいたとき、出会った英語仲間の友達がハネムーンでヨーロッパ旅行をしていて、ロンドンにも立ち寄ったのにちょうど私の予定がかぶったので、では会いましょう、ということに。前日の大使館で働く友人も、JETプログラムで石川県に来ていた人で彼女との共通の友人でもあるので、一緒に集まることになりました。そして、これまた偶然同じくJETで金沢に来ていたアメリカ人の子がスコットランドで結婚し、今回子供をつれてロンドンに来るというので、「金沢大会 in London」を開くことに。私は違う友人とお昼を食べる予定でいたので、ちょっとしか会えなかったけれど、素敵な偶然にとても心が躍りました。

そして今妊娠中の元フラットメイトと再会。これから生まれてくる彼女の子供のことを思うと、エマが生まれたのが本当につい最近のように思えてきます。初めてママになる彼女としては、いろいろ気になることがあるみたいでした。いろいろ楽しくおしゃべりして、エマも一緒にご飯を食べて、ご満悦。だいぶしっかり座れるので、普通のいすに腰掛けて食べられるようになりました。カフェでハイチェアーなしでご飯を食べれるなんて、大人みたいね!って言う話でしたが、でも放任リラックスママの私からはあまり学ばないほうが、いいかもしれない、とも思うのでした。。。

 

フリーズアートフェアhttp://friezelondon.com/は、コンテンポラリーアートのフェアで、世界中のアートギャラリーが集まって作品を売るイベントです。ロンドンの北西にあるリージェントパークに仮設の展示場が作られ、週半ばから週末にかけて4日間運営します。こういうコンテンポラリーアートフェアは世界中にあって、一番大きくて有名なのがスイスで行われるバーゼルアートフェア。フランスにはFIACがありますね。フリーズはイギリスでは大きいコンテンポラリーアートフェアです。今回はフリーズマスターというアンティークの展示もありました。やっぱりイギリスだからですかね。エマは寝てしまったので、ちょっとしか見てないのですが、コンテンポラリーはいろいろな形があって、ダイナミックで、子供にはとても楽しいものだと思います。普通のタブローより、絶対いいだろうな。。。

 

 

 

さて最終日はまた友人と待ち合わせて、大英博物館へ。イギリスのパブリックコレクションはすべて無料で見られます。なので、出入り自由。はじめてみるエジプトの人物像をじっと見つめるエマ・・・と、歩くうちあるところで興奮し始めました。そこにはキラキラした金のアクセサリー・・・・そっかー女の子だもんね。こんどはV&Aに行こうね。

 


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パリの白い夜

先週の半ば、熱を出して寝込みました。夜中の発熱、関節の痛み、なんかインフルに似てる!?と思って、医者へ。連れ合いがやさしくも休みを取ってついてきてくれました。つまり、もしインフルエンザだったらエマのそばにいるのは危険→エマを避難させなければならない→パパがパピ(義父、フランス語でおじいちゃんの意)のうちへ連れて行かなければならない→片道一時間半かかるから一日かかってしまう→仕事を休まなければならない、ということで、急遽お休みを取ったのでした。

結局、1時間くらい待った後の診察で、インフルという診断だったので、パパは昼食後エマを連れてトロワへ。私は薬を飲んでただただ寝ていました。薬はよく効いて、週末には元気になっていました。パピは火曜日にパリに来るとのことだったので、ついでにエマをつれてきてもらうことになりました。と、言うことで先週末はつがいだけで過ごすことに。

土曜日は、la nuit blanche がパリでありました。つまり、いろんなものが夜通しやっているという企画です。エマもいないし、行ける!!と、楽しみにしていたのに、雨がしとしとと降りだして、結局雨の中の「白い夜」となりました。連れ合いのサンドイッチとカペリーニャ(ブラジルのカクテル?)をリュックにつめて、お出かけ。

 

連れ合いは建築美術館からいろいろ回りたかったようでしたが、なかなか人出が多くて入れなさそうだったので、初めてエッフェルタワーをきちんと写真に収めることにしました。でも雨が降ったり風がなかなか強くて、ちょっと足も重たくなったりして。

  

面白かったのはMajida Khattariの展示と装飾美術館のLogoramaの映像作品。

 

コンコルド広場のアート

結局、寒かったり、面白そうなのは長蛇の列ができていたり、であまりたくさん見ることができず、エントランスのないものばかり見てそそくさと11時ごろ帰ってしまったのでした。せっかく朝まで地下鉄とか動いてたのに。。。残念。

でもパリにもやっぱりアートがたくさんあって、わくわくする街だということがわかって、よかった。また来年、ちょっと大きくなったエマといけたらいいなぁ、と思います。また預けられてるかもしれないけど。